報告者:キム


本当にヒマラヤに行きますか?
最初に先輩からヒマラヤに行くって聞いたとき
私はこう思った。ヒマラヤ、世界で一番高いところ。
高さだけではなくその優雅な姿と美しさで世界の山岳人達も渇望する山。
でもその人たちにも相当登りにくい山だと言われている山。
たとえ8000まではいかないけどそんな山を私が登れるかすごく心配だった。
今まであまり山登りしたこともないし。
でも行かないとは言わなかった。
人生で経験が何よりも大切だと思っている私にはこんな経験は
今回を逃したら二度も来ないものとして感じた。
そして何よりその山の頂上に立ちたかったし、
そこの空気を感じたかった。その過程での苦しみも
知らなくて。


9月7日
以外安定。本当に以外たった。
何日前まではどきどきして何もできなかったけど今日は落ち着いた。
でもやっぱり寝ようとしてもなかなか寝られなかった。
明日はここ日本じゃなくてネパールにいる。そのヒマラヤがあるネパールに。


9月8日
いよいよ出発の朝が来た。ほぼ2時間寝たかな。
でも眠くはなかった。行った事もない国での新しい経験と
ヒマラヤに登れる想像をしたら誰でも寝られないはずだ。

荷物が大きくて自転車でバス乗り場まで行けなさそうで
車を持っている知り合いに頼んで楽にバス乗り場に到着。
バス乗り場にはもうOBの方々が来られていた。
OBの方々にあいさつをして出発。
バスの中でいろいろ考えた。ネパールはどんな国かな?
そこは英語を使うらしいけどどうしよう?英語?
頂上に立ったらどんな気持ちか?
そして何かどうやって見えるか?
こんな考えで私も知らない間に私は笑っていた。
一回乗り換えて空港に到着。
飛行機に乗れば私はあのネパールにいるんだ。
その考えでもう一回笑った。
しかし、チケットをチェックしようとしたとき!
パスポートを忘れたことに気づいた。しまった!
ネパールに行くことだけ考えてパスポートをもってくるのを。
で、上野さん、ユウ先輩、多田先輩とは別れて
私は再び岡山に戻って来た。

帰る道のバスの中では何も考えられなかった。
ただぼんやりしているだけ、
家に戻ってみたらパスポートは見つけやすいところにあった。
ため息が出た。いくら時間がたったか、
大森さんから電話が来た。
空港で上野さんが電話で残したメッセージを確認して電話をくださった。
大森さんはすぐ大森さんのお宅に来いとおっしゃった。
ものすごくしかられると思ったけど大森さんは軽く頭を殴ったぐらいで終わった。
でも近い時日内にチケットがなかったらいけないかもしれないとおっしゃった。
そのとき今まで心配した分の3倍ぐらいに心配になった。
行けないかな。私。


9月9日
大森さんから電話が来た。
チケットがあったて。
それですぐ大森さんのお宅に行って新しいチケットについて説明を聞いた。
時間は10日明日。経路は上海で一回乗り換えてネパール着。
8日といっしょ。行ける。行けるんだ ネパールに
ありがとうございます。大森さん!


9月10日
すべての準備はOK!パスポート、チケット!お金がないのが問題だ
チケットを変えるに1万近くのお金がいるらしい。
でも行けることで満足。
一度行った事ある道でさまよいなしで空港に着いた。
大森さんに無事に空港まで着きましたって電話した後、
いよいよ飛行機に乗った。それから安心になった。
友たちにも今回は本当に行ってくるってメールを送った。
スチュワーデスはネパールの人みたいだった。
でもみんなおばさんだった。ちょっと失望。
飛行機に乗っていくらたったか機内食が出た。
それのネパールの食べ物みたいだった。
でも正直にまずかった。
ネパールに行ってこんなものをずっと食べないとだめか心配になった。
時間がたつと期待感より眠気がした。
この二日間あんまり寝なかったからか。
起きてみたらまもなく上海に到着する放送が出た。
それで15分待機。
なんもわからないからなんとなく人たちを付いていった。
上海の空港は閑散とした。
SARSの影響かな。そういえばマスクをしている人もいった。
SARSに感染されるかもという心配もちょっと飛行機に乗り換えた。
また出た機内食。今回もまずかった。
飛行機の中では食べて寝て食べて寝ての繰り返しだった。

ネパールに到着!

そして空港でのチェック!
空港の人が一人かグループで来ましたかと聞くから
グループで来たとゆったらその人はどこにいますかとまた聞いた。
その人たちは二日前に来たって言いたかったけど英語ができなくって困った。
英語。本当に久しぶりで大変だった。
いよいよ三人に交流。元気でした?お互いにそう聞いて笑った。
空港は3人とシェルパが車で向かいにきてくれた。
最初に感じたネパールのイメージは貧乏な国だった。
土ほこりが飛ぶ道路、倒れそうな建物、素足の人たち。
車で15分ぐらいでホテルに到着した。
でも名前だけホテルで韓国にある一番安い旅館よりもよくなかった。
先に来た3人は同じ部屋だった。
その部屋には4人は無理で新しいシングルルームで泊まることにした。
その値段は200ルピ。
そしてみんな晩御飯を食べ二行った。

ネパールでのはじめての食事。
主食はネパールも米だった。
でもそこの米は韓国、日本の米より長くてこちこちだった。
でも美味しかった。ご飯を食べて大森さんにメールを送るために
迷っていうる中、会った素足の女の子。
何かも食べるふりしながら。かわいそうだった。
私は本当に福が多いやつだと思った。
メールを送った後、明日の日程についた集まり。
朝4時に起き、5時に出発こうして最初の日が。 


9月11日
いよいよヤラピックに向かう一歩の日が明けた。
朝は起きられなくてユウ先輩が起こしてくれた。
5時バスが来た。そのバスにはもう人はいっぱい乗っていた。
15人ぐらいだった。あとでわかったことだけど
その人たちみんなが私たちのシェルパとポーターだったことで驚いた。
私たちはただ4人だけなのに。
バスに乗ってから30分 他のバスに乗り換えるため1時間を待った。
乗り換えたバスで会った韓国の女の方ミンジョンさん。
シェルパは3人いたけど一行はいない一人で旅中らいしいだった。
他国、それもネパールで韓国の方に会えるとは。
日本で会った韓国の人とは違う感じだった。
ミンジョンさんと昼ご飯をして再びバスに乗った。
道が均さなかったのでいっぱい揺れたけどよく寝られた。
バスに乗っている間に何回の検問があった。
暗くなったころ今日止まるホテルに着いた。
そして夕ご飯。寝すぎのせいかな食欲があんまりなかった。
メニューは親子丼。本当においしかった。
食べながらなんかえらい人になった気持ちがした。
なんもしなく待っていたらご飯を用意してくれるって想像したこともなかった。
少し嬉しかったけどなにかが間違っている気がした。


9月12日
5時30分起床。
シェルパがモーニングティーを持ってきた。ちょっと負担。
6時に朝ご飯。メニューはおかゆとトーストとお茶。
こんなにおいしいおかゆは初めて食べた。
7時ごろ バスに乗車。
バスに乗ったら寝る癖があってまた寝た。
バスの中から見える自然の姿をみたかったけど
群がってくる眠気には勝てられなかった
8時15分から11時まで徒歩。
それからポーターたちが私たちの荷物を運んでくれた。
周りを見ると四方がすてきな山でたまに山と山の間には
小さな瀑布もあった。昼ご飯を食べたところは
雲と同じ高さの小さい町、
そこから見た景色は言葉にならないぐらいすてきだった。
ただ自然その自体だった。
雲がしたから上がってくるのが印象的だった。
ご飯を食べてまた出発。
今度は雲がちょうど足の高さぐらいの道を歩いた。
まるで雲の上を歩いている気持ちだった。
そしてもっと歩いてバンブーの手前に到着。
もと今日はバンブーでテントを張りって泊まる予定だったけど
雨が降り始めて蛭がテントの中に入ってくるかもしれない
というシェルパの話でテントでの宿泊がやめた。
くる途中蛭を見た。
上野さんはものすごく蛭にやられた。
こむらから血が止まらなかった。
私たちが泊まったところは川の横にある2層の木の建物。

晩ご飯。メニューは鍋。
味は親子丼の味。味噌汁。ご飯。
今日気づいたことだけどネパールに来て
最初に食べたネパール店のその長くてこちこちの米とは違った。
日本で食べた普通の米だった。
こんな小さなことまで気にしてくれるとは。
でも食事の後、ここまで来て日本の食べ物を食べることは
ここに来た意味がないことだってみんなゆった。
でもいつも私たちに気にしてくれる人たちにはありがたい。
たまにそれが負担になるけど。
今日の道は粗かったけどシェルパたちはけがしてなかったかな。
明日も5時30分 起床 規則的な生活でなんかうれしい。





9月13日
5時30分に起床。
今日も モーニングティーでシェルパが起こしてくれた。
本当に楽な登山だと思った。朝ご飯はおかゆ、平たいパンと蜜。
7時に出発。もと昨日に泊まる予定だったバンブーに1時間歩いて着いた。
バンブー横には激しい流れの川があった。
でも水が流れている音を聞くとなんかすっきりした気持ちになった。
1時間ぐらい休んで再出発。
道が濡れているし、上がったり下がったりして歩きにくかった。
行く途中で日本人に会った。
女の人二人、男の人一人、そしてシェルパが一人。
話しかけようとしたけどそれができなかった。
11時30分ラマホテルに到着。そこで昼ご飯をした。
メニューはラーメン、サンドイッチ、りんご、フライドポテト、かぼちゃ。
食べ終わってからそこにいった猫と遊んだ。





13時に再び出発。
道の横にあった川。流れは激しかったけどすてきだった。
反対側を横にあった山も。でも少し頭が痛くなってきた。
3人はよくも歩いていった。
そして歩いて、歩いて15時30分、ゴラタベラに到着。
今日はテントで泊まることにした。
2人用2個。じゃんけんでユウ先輩と同じテントになった。
そこで洗濯をしながら夕ご飯まで時間を過ごした。
夕ご飯の後、少し休んでいたらゴラタベラにいった子供が来た。
ユウ先輩持ってきたMDが気に入った見たいだ。
音には関心がなくて光っているリモコンに惚れているみたいだ。
そして今21時。明日は高度差がひどいらしい。
ゆっくり、ゆっくり行こうぜ。

今日もポーターのみなさんお疲れ様です。


9月14日
5時30分起床。朝ご飯をして7時ごろに出発。
そんなに急じゃない傾斜。
目の周りはやっぱすてきな山。
ひょうひょうたる生活もできるところだと思った。
10時ごろLANGTAN VILLEGEに着いた。
景色がとってもよかった。そこで住みたいぐらい。
そこで昼ご飯。納豆が出るかもと心配したけど納豆じゃなかった。   
メニューはパン(中に野菜が入れ)、スパゲッチィなど。おいしかった。
食べ終わったらちょっと眠気がして寝てしまった。
そうしたらシェルパがここで寝たら頭が痛くなるって起こした。
本当に少し痛かった。
時間が経ったらよくなると思ったけどそうじゃなかった。
歩くたびに頭痛がひどくなった。めまいがした。吐きたかった。
私が今歩いているの、なんで地面が揺れるの?
登る途中ところどころで休んだことは記憶があるけど
どうやって歩いてきたのは記憶がない。
これが高山病かと思った。





ここはキャンジンゴンパ。来たとたん倒れた。
ここでこの前会った韓国人ミンジョンさんもいった。
自分も頭痛で苦労したってこれを鼻に付けば
よくなるかもといいながらこれをくださった。でも効果がなかった。
そして結局吐いた。しんどかった。
ご飯も口にできないぐらいだったので
ミンジョンさんからもらった生食しか食べられなかった。
いろいろ気にしてくれたミンジョンさんにありがたい。





明日になるとよくなるだろう。
このままだったら再び下りてゆくらしい。
私のせいでみんなに迷惑かけるのももういやだ。明日はどうなるか?


9月15日
起きてみたら頭が痛くなかった。
昨日のことはうそのように。よかった。
心で何度もそうゆった。ところで食欲はまだ戻ってこなかった。
朝飯のおかゆも半分以上残した。
今日はここでもう一泊する予定だ。高度に慣れるためだった。
今日の日程はキャンジンゴンパのすぐ隣にある名前を知らない山を登ることにした。
8時ごろに出発。
ゆっくり登っていったけど再び頭が痛くなった。
そのときはもう何を考えられなかった。
頂上まで登ったけどその場でノックダウン。
景色も見られなくてそのまま下山。
あとで聞いたことだけど今日上がった山は4500mしかできない山だった。
低くはないけど私らの最後の目的地は5500m。
本当に登れるか心配になった。
体力一つは自身あったのに。
またキャンジンゴンパに戻ってきてベンチに転がって休んだ。
ひときわよくなった。
そこでは風の音が波のような音だった。
3800mでの波の音。なんか不思議な気分だった。






9月16日
よく寝た?ユウ先輩が聞いた。
私が昨日テントで転んで先輩がよく寝られなかったみたいだ。
今日4500mぐらいまで登る。
昨日は本当にしんどかったけど今日は大丈夫かな。
今日の朝もほとんど食べられなかった。
出発の後から意識しながら呼吸したからか
昨日よりは体調がよかった。
歩き始めたから約4時間、ここヤラカルカに着いた。
雲はないときは万年雪に被せられた山が見えた。
もう一度ここで住みたい気がした。
今日も高度に慣れるため午前中にトラキングが終わった。
もうすぐだ。がんばろう。


9月17日
明日は決戦の日は。5500mヤラ・ピークを登る日。
頭痛よりその考えで頭にいっぱいだった。
今日は明日登るところの半分ぐらいまで登っていくとシェルパが言った。
往復3,4時間。いよいよ出発。やっぱり頭痛が始まった。
息しづらくなった。シェルパが後ろで支えてくれたけ大変だった。
でもユウ先輩と昨日調子悪かった上野さんも大丈夫みたいだった。
問題は多田先輩と私だった。
いつの間にか先頭とは離れていた。
で、多田先輩と私は先にシェルパと下がることにした。
もう一人のシェルパと先輩二人は登り続く。
下がっていくのも大変なぐらい体調が悪かった。
テントに着いて二度吐いた。
今まで一番体調が悪かった日だった。


9月18日
3時に出発。体調は悪くはなかった。
外は真っ暗。ヘッドランプの光に意思しながら進んだ。
シェルパは二人先頭と最後で支えてくれた。
先頭のシェルパの後ろは上野さん、ユウ先輩、私、
そして多田先輩の順だった。
私はユウ先輩との距離が離れないため先輩の足に合わせて歩いた。
先輩の歩き方はジグザグだった。
それを真似したら意外と楽だった。
安定的に呼吸ができ、頭もぜんぜん痛くなかった。
このままだったら問題ないかも。そのときはそう思った。
昨日、途中で降りてきたところを過ぎった時本当に自信ができた。
でも多田先輩は今日も体調がよくなさそうだった。
でも自分のペースを守らないとこれ以上登れなさそうだと判断し歩き続けた。
時間もある程度経つ、高度が高くなってだんだん寒くなった。
周りは少し明るくなった。
中間地点で靴を履き替えて再び出発。
そのときからか、頭が痛くなった。
また地面が揺れているように見えた。
なんのために歩いているのも忘れて歩いた。
最後になってピッケルに体を支えながらあるくのを何時間。
頂上が見えた。ヤラ・ピークの頂上が見えた。
約5時間。ヤらピークに登頂。それも4人みんな無事で。嬉しかった。
それほかに例える言葉は見つけなかった。
天気がよくなくてなんも見えなかったことは残念だったけど
ここの来てよかったと思った。少しの休息の後、
シェルパがそろそろ下りていこうと言った。
もっと感じたかったけどそのまま下山。
下りてゆくことも大変だったけど順調に下山。





9月19日〜9月21日
登ってきた道で順調に下山。
最後に
ヤラ・ピーク5500mに登頂。
まずは登頂ができたのはOBの方々のおかげさまだと思います。
ありがとうございます。
そしてネパール現地でのシェルパとポーター皆さんに感謝します。
彼らがもしいなかったら今回の登山は無理かもしれないと思います。
易しくはなかった今回の登山。
しかしそのすべての苦痛を忘れさせる登頂成功の嬉しさ、
大自然の荘厳な姿、数え切れないぐらいの星たちがありました。
たとえ高山病で味わえなかったこともたくさんありましたけど
この二週間は私が世の中で味わえるどんなこととも
換えられない大切な経験でした。





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