
報告者:上野 9月7日 早朝、岡山両備高速バスにて離岡→大阪難波→関西空港 関西空港にてキム君パスポートを家に忘れてきたことにきづく。 ロイヤルネパール航空の人と相談し、 キム君をおいてぼくら3名だけで、先にネパールに行くことにする。 キム君は航空チケットを変更して、 後の便でぼくらを追いかけることになる。 関西空港→カトマンズ国際空港 シーガルトラベルのスタッフが空港で出迎えてくれた。 そのまま空港からシーガルトラベルの車で、 手配してもらっていたゲストハウスへ行く。 ![]() 9月8日 カトマンズにて登山準備 この日ぼくは、シーガルトラベルの事務所へ行き、 キム君が遅れて後から来ることをつたえる。 9月10日 カトマンズにて登山準備 今回お世話になる、サーダー(アン・プルバさん)と 今回のトレッキングについての簡単な打ち合わせ。 ぼくらのメンバーとの顔合わせもする。 夕方今日来るキム君を空港まで迎えに行く。 飛行機は30分ほど遅れて到着、 空港の出口から無事キム君があらわれる。 9月11日 カトマンズ→ドゥンチェ(バス移動) チャーターバスで行く予定だったが、予算の都合で、 乗り合いバスで行くことになる。 ぼくの隣には見知らぬネパール人が座る。 カトマンズからトリスリバザールまでは舗装された道だったが、 その先は土と砂利道を行く。砂利道を3時間ほど行くと、 途中のがけ崩れのためバスが入れないのとのこと、 がけ崩れの箇所は歩いていくことになる。 歩いて約1時間だった。がけ崩れの箇所を歩いて、 その先にまたバスが2台待っていた。 何台ものバスできた人みんながそのバスに乗るものだから、 バスの中はすし詰め状態になる。 中に入りきれなかった人はバスの屋根にある荷物置き場に乗って行く。 そのバスに乗ってドゥンチェへ、 ドゥンチェについたのは結局夜の7時ごろになった。 ここまでのバス移動だけで、疲れてしまう。 軍隊によるチェックが厳しく、そのたびにバスを止められ、 バスの中にライフルを持った兵隊が荷物チェックのために入ってくる。 おまけに道が悪いうえに、バスの性能が悪いのか、 バスの振動がじかに体に伝わってくる。 ![]() 9月12日 ドゥンチェ→バンブー手前(1800M) 早朝ドゥンチェからバルクまでは、バスを1台チャーターしていく。 バスで2時間ほど行ってバルクに到着。バルクからようやく歩きになる。 この日は夕方の3時ごろから雨となる。 以降毎日のように3時ごろになると雨が降った。 まだ9月、雨季があけきっていないのだろう。 雨になると、その日の行動はそこまでとなる。 この日もバンブーまで行く予定だったが、 雨のためバンブーの1時間ほど手前にある、 狭い川沿いの山小屋に泊まることとなった。 9月13日 バンブー手前→ラマホテル→ゴラタベラ(3000M) この日から6時起床7時出発の規則正しい生活となる。 バンブーから先は急なのぼりがゴラタベラまで続く、 狭い谷沿いのジャングルをひたすら登る。 このあたりからみんなの歩くペースに違いが出てきた。 ユウ君はひたすら元気にシェルパの速いペースについていく。 キム君もユウ君にくらいついていく。 多田さんはその後ろをマイペースでついていく。 ラマホテルを過ぎてゴラタベラに到着すると、景色が一変する。 狭い谷沿いのジャングルから森林限界を超えると景色が開け、 ヒマラヤの黒い岩と頂上付近の万年雪が見えるようになる。 ![]() 9月14日 ゴラタベラ→キャンジンゴンパ(3800M) ゴラタベラからは緩やかなのぼりがキャンジンゴンパまでつづく。 景色を眺めながらの、のんびりした山登りだった。 しかし、キム君にとっては景色をゆっくりと眺める余裕はなかったようだ。 標高が3500Mを越えたあたりからキム君の歩くペースが遅くなり、 休憩のときはすぐに横になってしまう。 体を動かすことがよほど億劫なようだ。 それでもなんとかゆっくりとしたペースで、キャンジンゴンパまで行く。 キム君の症状は高山病であることはわかったが、 ぼく自身高山病を経験していなかったので、 高山病がどんなに苦しいものなのかが理解することができなかった。 9月15日 キャンジンゴンパ滞在 キャンジンゴンパの裏山(推定4300M)にみんなで登る。 頂上までは約2時間ほどかけてゆっくりと登る。 キム君は頂上につくや否や、ノックダウン横になって天を仰ぐ。 ぼくも多少の頭痛を感じるが、まだ余裕がある。 あいかわらずユウ君は高山病の気配をまったく見せない。 その日の午後からは完全休養となり、ひなたぼっこをしてすごす。 日が照っているときは肌が焼けるように暑いが、 日がかげると半そででは肌寒く感じる。 9月16日 キャンジンゴンパ→ヤラ・カルカ(4500M) キャンジンゴンパからヤラ・カルカまでは、 ツェルゴリ(4900M)の山すそを右からトラバースしていく。 ここから先にはもう村はなくなり、 ヤクを放牧する人が寝泊りする石積みの放牧小屋が転々とあるだけとなる。 道も人が歩く道なのか、ヤクが通った跡なのか判然としなくなる。 ヤラ・カルカは平坦な牧草地といったところだった。 その平坦な地面が少しくぼんだとこにテントを張った。 くぼ地がうまく風をよけて、冷たい風邪がテントの上を吹き抜けていく。 この日は高度を700Mあげたので、 ユウ君以外はみんな、頭痛と吐き気に悩まされる。 9月17日 ヤラ・カルカ→5000M地点→ヤラ・カルカ ぼくは頭痛と吐き気で昨晩は眠れなかった。 この日以降、キャンジンゴンパにもどるまで食べ物がのどを通らなくなる。 9月18日 ヤラ・カルカ→ヤラ・ピーク→ヤラ・カルカ→キャンジンゴンパ 午前3時に出発。 ヘッドランプをつけての歩行となる。 昨晩は眠れないかと思ったが、血行を良くしようと思い、 足の裏や、首筋を入念にマッサージしたのが効いたのか 頭痛がすこしやわらいで、眠ることができた。 歩くペースはやはりユウ君が一番速い、 シェルパと一緒に軽快にとばして行く。 多田さんが最後尾で遅れぎみになる。 ヤラ・カルカから3時間ほど歩いて、 ヤラ・ピークの取り付き地点に到着。 そこで休憩をとって、いよいよ頂上までの本格的なのぼりとなる。 岩のガレ場をシェルパ先行で慎重に登る。 頂上直下で右にトラバース、頂上の右肩に取り付いて最後ののぼり。 そこだけロープをシェルパに張ってもらう。 最後は良くわからないまま、頂上に到達。 まわりはガスでなにもみえなかった。 その後のくだりは、シェルパとユウ君がどんどん先に下り、 残りの3名は休みながらゆっくり下る。 キム君は途中座りこんで休むことが多くなり、 一度座り込むと、なかなかたって歩こうとしない。 そのキム君をせかしながらのくだりとなる。 そのキム君も高度を下げるにつれて、元気を取り戻す。 結局、ヤラ・カルカへ戻ったときは、僕が最後になってしまった。 ヤラ・カルカにつくと、うつ伏せになって休憩、 これ以上を動く気になれなかった。 しかし、今日はキャンジンゴンパまで下る予定になっている。 ほかの3人はもうすでに下っていった。 ここにいてもしょうがないのでなんとかして体を動かす。 とりあえず足を一歩一歩前に出すことだけに集中して、黙々と下る。 キャンジンゴンパまで2時間ほどかかった。 ![]() 9月19日 キャンジンゴンパ→ゴラタベラ 9月20日 ゴラタベラ→バンブー 9月21日 バンブー→シャブルベシ 9月22日 シャブルベシ→カトマンズ(バス移動) 行動記録 総括 行動日程については、大きな問題はなかった。 カトマンズ ドゥンチェ間のがけ崩れによる一部通行止めは、 予想していなかったが、徒歩で通過できたので、問題なかった。 キャンジンゴンパ(3800M)からヤラ・カルカ(4500M)まで、 標高差700Mを一日でつめた。 この高度でこれだけの標高差を行くには、 高度順化、体力ともに良好でなければ、難しいだろう。 体調の悪い人、高度順化がうまくいっていない人がいるときは、 間にもう一日いれて、2日間かけていくべきだと思う。 医療 医薬品については、山本先輩、湯本先輩より御寄付をいただきました。 傷薬(持っていったもの) 頭痛薬 風邪薬 下痢止め 整腸剤 鎮痛剤 抗生物質 ビタミン剤 反省 なれない土地での生活のため、 胃の消化不良を起こすことがよくあった。 食べたものが一日で消化されず、胃の中にたまり、 体調をくずす原因となった。 これからは医薬品に消化剤も追加すべきだと思う。 ダイアモックスは、多田さんがヤラ・カルカでシェルパからもらった ダイアモックスを半錠飲んだのみで、 ほかでは使用しなかった。 ダイアモックスはカトマンズ タメル地区のスーパーにいけば、 いくらでも売っていたが、効果についてはっきりしたことがわからなかったので、 今回は使用しないことにした。 高度障害について、今回はユウ君以外の3人とも頭痛、 吐き気などの高山病の症状をみせた。 キム君は3800M地点、多田さんと僕は4500M地点で症状が現れた。 幸い軽い症状ですんだというべきだろう。 高山病は頭痛など軽い症状が出た時点で、 次の日の行動日程を縮小するか、 控えるかなどの対策をとる必要があると思う。 <<戻る <<HOME |